備前焼 粘土について
備前焼の粘土
備前焼は、釉薬を使わずに絵付けも行わず、地肌そのものが表面に現れています。
その焼け味、土味が最大の特徴といえます。
昔から「土、造り、焼け」と粘土・成形・焼成を重要としてきました。
その中で、備前焼に使われる粘土を歴史を踏まえながら説明します。
粘土の変遷
古墳時代の6世紀ごろ、朝鮮半島より伝来した須恵器は東備地方では現在の瀬戸内市で生産されていました。
平安時代に山岳仏教の聖地熊山の庇護を受け、熊山の南東、現在の備前市伊部・大内・浦伊部・福田に陶工たちが移り住み、窯の大型化とともに焼成温度が上昇し、備前焼に変化してゆきました。
窯は山の中腹から山頂近くにあり、粘土は「山土」。崖錘堆積物の中から粘土として使える可塑性のある部分を集め、使っていたと思われます。その時代に作られた大甕には砂というより小石に近いものも含む粘土です。
ところが平安時代末から室町時代初頭にかけて、備前焼が全国的な商圏に拡大すると交易に便利な山すそに降りてきます。
大窯時代の始まりです。
粘土は山すその少し標高のあるところのもので淡褐色をしていて「山ひよせ(簸寄土、干寄土)」ともいわれます。
さらに室町時代末期から桃山時代にかけて、低地の1万年前には内湾であったところの表層から1メートルから3メートル下の地層から採掘した粘土を使用するようになります。
これが現在でも多く使われる「ひよせ」粘土です。
低地の下にある粘土ですから、田畑が少なくなり宅地化・道路化されてきた現在採掘しにくくなっています。
自然が1万年かけて作った粘土ですから、造り手として心して扱わないといけないと思っています。
次回は原土から粘土について書こうと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
備前焼のオンラインショップ|興楽園
興楽園では、備前焼の湯呑みやお皿、花瓶や徳利などをメインに制作・販売しております。当窯元は江戸時代から16代続く伝統ある窯元です。現代の生活の中に寄り添い、溶け込むような作品を意識し制作に励んでおります。当窯元の製品を、心安らぐひと時や、大切な人との時間のアクセントとしてお使い頂く事をおすすめします。
屋号 | 興楽園 |
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