備前焼の狛犬(18)王持八幡宮
備前焼の狛犬
古人の備前焼造形物として、見ることが容易な物に「狛犬」があります。 18回目は瀬戸内市邑久町上笠加にある王持八幡宮です。 |
王持(おうじ)神社 瀬戸内市邑久町上笠加2
JR赤穂線の邑久駅と長船駅の間の西側峨城山(がきやま)にこの神社はあります。 介護老人保健邑久ナーシングホームの北側の山道を登っていきます。 山道に入って100mも行ったところに、最初の鳥居があり、そこに1番目の狛犬は座しています。
ところが、阿形は有るのですが吽形が見当たりません。台座を見ると右前足の先のみが。 一時期、岡山県内で狛犬の盗難が多発したのですが、まだこんな罰当たりな輩がいるのでしょうか。 修復とか違う理由で、何処かに保管しているのなら良いのですが。
右に阿形の獅子。高さ83センチ(小出公大 備前焼の狛犬 より) |
胸を張った姿をしています。 大きく後ろに垂れ下がった耳。ヘラで深く細工された尾。体毛を表した渦上のヘラ目。 時代はまだ新しいようですが、名工の作と見受けました。 作者・制作年ともに不明です。
更に数百m登ったところに次の鳥居が見えてきます。そこから長い参道を土塀に囲まれた境内に進みます。 土塀の手前に2番目の狛犬が座しています。 石段右に阿形の獅子。 |
1番目の阿形の獅子よりさらに深く細工され渦高い尾、丁寧に作られた襟毛・腋毛。大振りな頭。
左に吽形の狛犬。 |
堂々とした姿、丁寧に作り上げられた尾、襟毛。 これも備前焼の狛犬を代表する作と思います。
作者は、森栄太郎良明で明治から昭和初期にかけて多くの狛犬を残しています。 制作は明治21年で、良明が38歳のころの制作で脂の乗り切った頃でしょう。 |
社伝によると延文5年(1360年)4月、播磨龍野城主、脇坂久左衛門尉源忠典が神託によって豊前国から八幡宮を勧請して社殿を創建した。
当社は仲哀天皇の皇子応神天皇を首座に祀ってあるので皇子八幡宮と言っていたが、文録元年(1592年)4月、豊臣秀吉朝鮮征討の時に、其の武将、森忠政がこの宮山に来て「本社は三韓を降伏せし大神なれば」とて暫く滞在し、戦勝祈願をして峨城山と変えた。その時、藤井神主に、永代、森忠政「王を保ち守護すべき様」下命して、以来皇子を王持とし、忠政凱旋してから報賽として天正15年(1587年)8月8日、唐面と上り龍下り龍絵馬二面を奉納した。岡山神社庁 HP より抜粋
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参考文献 小出公大著 備前焼の狛犬ーそのユニークな形姿を訪ねるー 相原武弘著 備前宮獅子 |
備前焼のオンラインショップ|興楽園
興楽園では、備前焼の湯呑みやお皿、花瓶や徳利などをメインに制作・販売しております。当窯元は江戸時代から16代続く伝統ある窯元です。現代の生活の中に寄り添い、溶け込むような作品を意識し制作に励んでおります。当窯元の製品を、心安らぐひと時や、大切な人との時間のアクセントとしてお使い頂く事をおすすめします。
屋号 | 興楽園 |
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代表者名 | 木村 茂夫(キムラシゲオ) |
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