備前焼の狛犬 天津神社
備前焼の狛犬(1)
古人の備前焼造形物として、見ることが容易な物に「狛犬」があります。
江戸時代中期以降、備前焼の狛犬は関東から九州までの各地に見られます。
我が家の祖先も数多く作っているので、それを紹介していきます。
天津神社
備前焼の里、岡山県備前市伊部の旧山陽道に鎮座する天津神社。
少彦名命(すくなひこなのみこと:医薬・病気平癒の神様)と菅原道真(すがわらみちざね:学問の神様)を祭神とする神社です。
参道入り口の鳥居の所に坐しています。
神殿に向かって右に「阿形」。高さ86㎝ (小出公大 備前焼の狛犬 より)
本来、口を開けた「阿形」は獅子とされ毛が渦巻いています。
こちらは口を閉じた「吽形」。高さ88㎝ (小出公大 備前焼の狛犬 より)
高麗の犬とされ毛が流れています。
後年、両者は混同されていきますが、この狛犬は明確に区別されています。
狛犬としては小振りですが、焼き物の里に坐しているからか、保存の状態は良いです。
また、細工も素晴らしいです。
作者:木村儀三郎貞幹 制作:万延2年(1861年)
「阿形」「吽形」共に背面に制作年、作者、と共に8名の寄進者の名前が刻まれています。
木村儀三郎貞幹は、9代木村長十郎敬雄の時の分家の家系で、狛犬としては「琴平・金刀比羅宮」「大阪・住吉大社」などがある。
当社の由緒等は不明であるが、創建は古老の口碑によると応永18年(1411)である。
当初、少彦名命を祀り、後に昔から伊部、浦伊部は菅原氏の荘園であった関係により菅原道真公を配祀した。
社殿は当初、浦伊部宮前に建立されていたが、伊部に疫病が流行した時、当時の伊部村名主に神託があり、天正7年(1570)、現今の地に遷座すると疫病は平癒した。
伊部村民は氏神と崇敬し病気平癒、学問の神、産業陶器の神として神徳あらたかとなっている。
少彦名命(すくなひこなのみこと)は神産日神の御子であり、「日本書記」に大己貴命と力を合わせて国造りをされた神様で「病気を治す方法と災いを祓うまじないの方法を定めた」とあり、医薬の神様、病気平癒の神様である。
菅原道真公(すがわらみちざねこう)は学問の神様で昌泰2年(899)左大臣となり、後に九州に西下される。その途中腰掛けて休憩されたのが、履掛天神宮(伊部西に鎮座)にある履掛石である。
延喜3年(903)菅原道真公没後、天下に雷雨が続き、これは菅原道真公の霊のなすところと延喜9年(909)天神様として祀られ、学問に秀でているところから学問の神と仰がれた。
氏子の中に備前焼関係者も多く、境内には様々な備前焼が配されている。岡山県神社庁 HPより
最後までお読みいただきありがとうございます。
参考文献 小出公大著 備前焼の狛犬ーそのユニークな形姿を訪ねるー