興楽園 興楽園では、備前焼の湯呑みやお皿、花瓶や徳利などをメインに制作・販売しております。当窯元は江戸時代から16代続く伝統ある窯元です。現代の生活の中に寄り添い、溶け込むような作品を意識し制作に励んでおります。当窯元の製品を、心安らぐひと時や、大切な人との時間のアクセントとしてお使い頂く事をおすすめします。

備前焼の狛犬 天津神社

備前焼の狛犬(1)

 

古人の備前焼造形物として、見ることが容易な物に「狛犬」があります。

江戸時代中期以降、備前焼の狛犬は関東から九州までの各地に見られます。

我が家の祖先も数多く作っているので、それを紹介していきます。

 

天津神社

 

備前焼の里、岡山県備前市伊部の旧山陽道に鎮座する天津神社。

少彦名命(すくなひこなのみこと:医薬・病気平癒の神様)と菅原道真(すがわらみちざね:学問の神様)を祭神とする神社です。

参道入り口の鳥居の所に坐しています。

神殿に向かって右に「阿形」。高さ86㎝ (小出公大 備前焼の狛犬 より)

 

備前・天津神社 阿形
備前・天津神社 阿形

 

本来、口を開けた「阿形」は獅子とされ毛が渦巻いています。

 

備前・天津神社 吽形
備前・天津神社 吽形

 

こちらは口を閉じた「吽形」。高さ88㎝ (小出公大 備前焼の狛犬 より)

高麗の犬とされ毛が流れています。

後年、両者は混同されていきますが、この狛犬は明確に区別されています。

狛犬としては小振りですが、焼き物の里に坐しているからか、保存の状態は良いです。

また、細工も素晴らしいです。

 

作者:木村儀三郎貞幹 制作:万延2年(1861年)

「阿形」「吽形」共に背面に制作年、作者、と共に8名の寄進者の名前が刻まれています。

 

備前・天津神社 背面
備前・天津神社 背面

 

木村儀三郎貞幹は、9代木村長十郎敬雄の時の分家の家系で、狛犬としては「琴平・金刀比羅宮」「大阪・住吉大社」などがある。

 

 

当社の由緒等は不明であるが、創建は古老の口碑によると応永18年(1411)である。
 当初、少彦名命を祀り、後に昔から伊部、浦伊部は菅原氏の荘園であった関係により菅原道真公を配祀した。
 社殿は当初、浦伊部宮前に建立されていたが、伊部に疫病が流行した時、当時の伊部村名主に神託があり、天正7年(1570)、現今の地に遷座すると疫病は平癒した。
 伊部村民は氏神と崇敬し病気平癒、学問の神、産業陶器の神として神徳あらたかとなっている。
 少彦名命(すくなひこなのみこと)は神産日神の御子であり、「日本書記」に大己貴命と力を合わせて国造りをされた神様で「病気を治す方法と災いを祓うまじないの方法を定めた」とあり、医薬の神様、病気平癒の神様である。
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)は学問の神様で昌泰2年(899)左大臣となり、後に九州に西下される。その途中腰掛けて休憩されたのが、履掛天神宮(伊部西に鎮座)にある履掛石である。
 延喜3年(903)菅原道真公没後、天下に雷雨が続き、これは菅原道真公の霊のなすところと延喜9年(909)天神様として祀られ、学問に秀でているところから学問の神と仰がれた。
 氏子の中に備前焼関係者も多く、境内には様々な備前焼が配されている。

  岡山県神社庁 HPより

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

参考文献 小出公大著 備前焼の狛犬ーそのユニークな形姿を訪ねるー

 

 

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興楽園 興楽園では、備前焼の湯呑みやお皿、花瓶や徳利などをメインに制作・販売しております。当窯元は江戸時代から16代続く伝統ある窯元です。現代の生活の中に寄り添い、溶け込むような作品を意識し制作に励んでおります。当窯元の製品を、心安らぐひと時や、大切な人との時間のアクセントとしてお使い頂く事をおすすめします。

岡山県 備前市 伊部667

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